『リハビリテーション』とは?④
『リハビリテーション』ってやってもらうものなのでしょうか?
よく病院とかで、患者と看護師の間でこんな会話が繰り広げられます。
患者 『看護師さん、車椅子でトイレまで連れてって下さい。』
看護師 『○○さんはもう歩いてトイレに行けるでしょ。一緒についていくから歩いて行きましょう。これも自宅に帰って一人でするための訓練ですよ。』
患者 『えぇ、入院している時くらいいいじゃないか。こっちは金を払ってるんだ。それくらいサービスしろよ。』
看護師 『、、、、、』
自分でできることをやってもらおうとする輩って結構多かったりします。それに看護師を召使いだと思っている輩も多かったりします。
調子が明らかに悪い時には手伝ったりすることもありますが、調子が良い時でも『できることを自らしない』方って結構多かったりします。
患者側には『やってもらって当然』『やってもらわないとクレーム入れるよ。』的な方が結構多かったりします。
一方、医療側でも、『頼まれたらやってしまう』と言う方も実際に多かったりします。
『過依存』と『過保護』の関係
まずこの関係から逃れないといけませんね。なんのために『訓練』をしているのか?
家に帰るため
好きなことをするため
自分の身の回りのことをなるべく自分でするため
でしょう。
自分で自分を律するようにすること、それが『リハビリテーション』のような気がします。
過度の『やってもらうこと』『やってあげること』はリハビリテーションの阻害因子にすぎないと思うのです。
もうスイカの季節が来ているんですね。
先日いただいた熊本産スイカ。
甘くて美味しかったです。
『リハビリテーション』とは?③
急性期病院で病状が落ち着いたものの、いろんな障害が残った場合、こう言われることが多いと思います。
『急性期での治療は終わりました。あとはリハビリ次第です。でもこの病院ではリハビリはできないので、リハビリできる病院に転院してください。』
この言葉にも違和感を感じます。
リハビリテーションは『訓練』や『練習』や『療法』だけのことではないことはすでに説明しました。
急性期の治療の段階からすでに『リハビリテーション』は始まっているのです。動けない時期から今後の生活を見据えた上での『訓練』や『ケア』が必要です。例えば関節が硬くならないように可動域訓練をするのはまさに急性期にいるうちにこそ必要です。そして『誤嚥性肺炎』を防ぐためには口の中を綺麗に保つ『口腔ケア』などか必要です。そして必要以上に『安静』にしすぎないことも『リハビリテーション』なのです。
急性期病院にこそ、リハビリテーションに理解のある医者、看護師、療法士などが必要なのです。
『あとはリハビリテーション次第です。』ではいけないんです。
『われわれとしてはできうるリハビリテーションをしてきましたが、さらに今後を考えた上でのリハビリテーションが必要です。』
と言えるような世の中になれば、明らかに日本の医療は変わるでしょう。『リハビリテーション』とは病気を診るものではなく、人間を診るものであり、『その先』を考えるものであると思うのです。
『リハビリテーション』とは?②
『リハビリテーション』の語源って知っていますか?
ラテン語でre(再び)+habilis(適した)が語源で、『再び適した状態になること』とか『本来あるべき状態への回復』という意味です。
病気や怪我などで動けない、食べられない、話せない、いろいろな判断ができなくなった、、、などなどの障害がでた時に『元に戻れるようにすること』を『リハビリテーション』と捉えている方がほとんどだと思います。実際、それが理想ですし、軽度の病気や怪我で起こる障害はそれが実現する可能性が高いです。
初めて『元どおりにする』と言う意味での『リハビリテーション』という概念に違和感を感じたのは医者になって4年目の時に、障害者施設に勤務した時のことでした。
その施設には先天的に脳のダメージを受け、身体的精神的障害を受けた『脳性麻痺』の方や先天的に脊椎脊髄の発生異常にて両下肢の麻痺や排泄の障害を来している『二分脊椎』の方や先天的に骨が弱く、すぐに骨折を来して身体中の変形を来してしまう『骨形成不全症』の方がたくさんいました。
それではそのような先天的な障害をもたれた方が、『リハビリテーション』でいわゆる普通に過ごしている『健常人』と同じように歩けたり、身の回りのことができるか?と言われたら、それは不可能なことなのです。
それでは、彼らに対して我々ができることはなんなのか?そして彼らの希望と現実的に彼らができることを計算した上で何を実現できるだろう?実現させるために、どうアプローチすればいいだろうか?と考えるのが、『リハビリテーション』だと思うのです。
それには
道具の工夫?
人的な介入?
本人の強い意志?
『リハビリテーション』は決して『訓練』や『練習』や『療法』だけではないことを知ってほしいし、
『完全に元に戻すためのもの』ではないことをわかっていただきたいと思うのです。
『リハビリテーション』とは?①
皆さんは『リハビリテーション』という言葉を聞いてどのような想像をしますか?
痛いながらも我慢して歩く練習をしたりすること?
動かない手を無理やり動かして拘縮させないようにすること?
体に電気や超音波を当てること?
言葉が話せない人に対して言葉の練習をすること?
ご飯が食べられない人に対して食べる練習をすること?
確かに、これらのことは『リハビリテーション』の一部分ですが、『リハビリテーション』の全体を表すものではありません。
歩く練習、、、これは『理学療法』と言われます。
手を動かして拘縮を防ぐ訓練、、、これは『作業療法』と言います。
電気をあてること、、、これは『物理療法』と言います。
言葉の練習をすること、、これは『言語療法』と言います。
食べる練習をすること、、、これは『摂食嚥下療法』と言います。
要するにわれわれが『リハビリテーション』と考えていることは、『練習』であり、『訓練』であり、『療法』なのです。
いつの間にか『訓練』することが『リハビリテーション』することだと考えられていて、『リハビリテーション』という言葉がなんとなく、マジックワードになっています。そして都合よく使われることが少なくありません。
『リハビリテーション』をすることで前のようにピンピン元気になる
とか
『リハビリテーション』は誰かにやってもらうもの
とか考えられてしまっています。
本当に『リハビリテーション』ってなんだろ?
次回自分なりの考えを書いてみたいと思います。
『待てない』方々
今日の新聞でヤマト運輸が
『即日配送撤退も』
という記事が掲載されていました。
ネット通販が盛んになり、運送会社の取り扱い数が爆発的に増えています。amazonに至ってはamazon primeで即日配送サービスを行っていて、これによる負担は運送会社にはキツイ様子です。
基本的に私はヤマト運輸の考えには大賛成です。人口減でただでさえトラックドライバーが少なくなっているのに、取り扱い数は増えていて、なお単価が下がっている現状を考えたら、運送会社の存続のためには『親切すぎるサービス』はなるべく控えた方がいいと思うのです。
もともと、即日配送にしなくてはいけないほど急な配達物ってどれくらいあるのだろうか?とも考えてしまいます。あまりにそのように『すぐに、すぐに』という考えがはびこってしまうと、
『待つことは悪』
みたいな風潮になってしまって、あまりよくないことだと思います。
病院でも同じことが言えます。外来でちょっとでも待たせると烈火のごとく怒る方がいます。
『こんなに調子が悪いのに、待たせるなんてひどい病院だ。』とかね。わずか15分も待っていないのに。
誰もが調子悪いから病院に来ているのであって、あなただけが特別じゃないんですけど。本当に調子悪い場合はそんなクレームを入れる余裕すらないです。
われわれ医療者はすぐにでも処置しなければいけない方を先に行った処置します。何事も優先順位があるのです。そのためには申し訳ないのですが、余裕がある方には待っていただきたいと思うのです。
世の中は便利になっています。いいことだと思いますが、便利になるが故に自分の思う通りにならないと我慢ができなくなります。そのため『待つこと』とか『耐えること』ができなくて、ギスギスした世の中になってしまっているような気がします。
もう少しのんびりと心の余裕がある生活を心がけたいものです。
脳卒中後の職業復帰
脳卒中にかかると多かれ少なかれなんらかの後遺症を残します。ごくごく軽い手足の動かなさにとどまる方もいれば、ほぼ寝たきりまで。
ごくごく軽い後遺症であればほとんどの症例で日常生活や仕事に戻ることは可能ですが、寝たきりの方はほぼ日常生活や仕事に戻ることは不可能です。
最近では40代や50代の働き盛りの方が脳卒中になってしまう症例が増えました。比較的に若いので、どんなに手足の動かなさ(麻痺といいます)が強くても多くの場合、自分で起き上がれたり、歩けたりすることが多く、日常生活もほぼ自立、もしくは一部介助で送ることはできるパターンは多いのですが、問題となるのが若いが故の『今後の社会参加』、もっと具体的に言えば『仕事の復帰』です。
仕事の復帰の面から言えば、肉体労働をされている方は麻痺が強い場合、復帰することは困難です。
また事務的な仕事をされている方が脳卒中の後遺症として、高次脳機能障害と言われる『記憶障害』や『注意力の欠如』、『言語障害』、『情報処理能力の低下』と言う状態になってしまった場合、文書作成や問題解決ができないので困難となります。
今でも時々、復職支援のリハビリテーションをしていますが、なかなか思ったようにいかないのが現状です。一番の理由は企業のニーズと本人の能力に乖離が生じてしまうからです。特に経済的に厳しい企業では言い方は悪いのですが、体が動かなかったり、文書が作れない方はあまり役にはたたないからです。そのような方に同じ給料を出すのは厳しいので、病気後に職場に戻っても、なんらかの理由をつけて『自主退職』にもっていくケースが多いのです。
普通の企業であれば、脳卒中になった後に病気休暇を取り、その後、傷病手当金(給料の6割)をもらいながら企業所属を1年半保証してくれます。その間にその企業に再度戻るか、退職するかを決めていくわけですが、仮に戻っても『自主退職』になる方は多いです。企業としても『不当な解雇』はできないので、『自主退職』という方向にもっていくのです。
企業規模が大きい場合、その患者ができる仕事をあてがってくれる場合もありますが、少数です。日本の場合、中小企業が9割以上なので理想通りにいかないのが現状です。
今後、復職困難な脳卒中患者さんは増えるでしょう。国の積極的な支援を期待したいところですが、まだまだ先は長いかなと言った感じです。
ただ復職支援のリハビリテーションをしていて、思うことはあり、どんなに麻痺が重くても高次脳機能障害があっても元の職場に戻れて仕事を変えてでも受け入れて下さる方もいれば、どんなに麻痺が軽くて高次脳機能障害がない方でも復職を断られる方がいらっしゃることです。おそらく病前のその患者さんの『人徳』によるものなのかなぁと思います。
苦しい状況にあるときに『助けてあげたい』と思われるためには、普段の行いがものをいうのかもしれないと感じる瞬間です。
昨日食べたリンガーハットのちゃんぽんと餃子は美味しかったなぁ。
起業家、個人事業主ほど医療介護の備えは必要^_^
何度も書いていますが、私は脳梗塞や脳出血などの脳卒中後のリハビリテーションに関する仕事をしています。
患者さんの中で結構多いのは『自営』で仕事をしている方です。
『自営』と言っても羽振りのいい自営の方もいれば、カツカツでやっている方もいます。どちらかと言えばカツカツでやっている方が7割から8割くらいでしょう。
いろんな社会制度はありますが、なんだかんだ言って医療や介護にはそれ相応の『お金』がかかります。脳卒中後のリハビリテーションでは入院料、リハビリテーション料など高額な費用が必要になります。医療費に関しては収入額に応じて自己負担額の減免があるのでなんとかなるのですが、問題になるのはそのあとです。
脳卒中後、半身不随や精神機能の障害などにより、『今までやっていた仕事ができない。』ということが往々にしてあります。自営の方はある意味、個人で特殊なことをやっている方が多いので仕事に復帰できないケースが多くなります。そうすると、収入の道が途絶えます。
起業家や個人事業主の一部では『自分は元気だから保険なんか入らなくて大丈夫。』と過信している方も少なくありません。そのような方に限って、脳卒中などの病気になることも決してまれではありません。そうなると生活は困窮し、場合によるとすぐ家族共々『生活保護』になる方もいます。
起業家、個人事業主ほどやはりいろんな場面を想定して自分に保険をかけておいてほしいなぁと思います。少なくとも1.2年は働かなくてもなんとか生活できるように。そして、その1.2年の間にその後の生活を考えるべく、リハビリテーションを続けて欲しい。それで本当にダメだったら生活保護はやむなしと考えます。
別に私は保険会社の手先ではありません。無理に保険に入れというわけではありませんが、やはり最悪な場面は想定しながら『自分のことは自分でやる』という思いは持ってもらいたいと思っています。
あともう一つ。保険会社の中には悪徳な方もいるのでネットとかでよく調べて適切な保険に入ってくださいね。
昨日食べたスープスパゲティ。超美味しかったです。