リハドクターKのたわごと

医学医療への雑感を書き記します

息子の病気

医者というのは因果な商売だと思う。

 

身内が病気になるとほとんどの場合、大丈夫だと思われる病気であっても、『最悪な場面』を考えてしまうものだ。

 

うちの息子、ゴールデンウィーク明けにある軽い病気で手術予定でした。その簡単な手術であってもいろいろ考えてしまうのです。

 

全身麻酔でこのまま目を覚まさなかったらどうしよう

 

手術後に声帯麻痺になって呼吸困難になって低酸素脳症になって一生寝たきりになったらどうしよう

 

術後の抗菌剤点滴でショック状態になったらどうしよう

 

とかね。ほとんど起こらないであろうトラブルも自分の息子の場合は100倍くらいの可能性で起きるかのごとく、妄想してしまいます。

 

そんなことを考えていたら、別の病気にかかってしまい、急ぐ手術ではないので今回の手術は延期になりました。

 

手術が延期になり、その不安は先送りされたのですが、今回の別の病気に関して、また不安な気持ちになってしまうのです。

 

1万分の1の可能性で肝機能がすごくわるくなって肝性脳症になったらどうしよう

 

数万分の1の可能性で輸血が必要になったらどうしよう

 

数十万分の1の可能性で死んだらどうしよう

 

 

下手に知識があると不安ばかり、最悪なことばかり考えるからロクなことはないですね。

 

 

じゃあ、楽観していていいのか?と思うと医者ってそれではいけないと思うんですよ。いつも言っているけど、人間の体ほど予想がつかないものはないし、医療ほど不確実なものはないのです。

 

あらゆるリスク、あらゆる最悪な場面を考えて治療に臨むこと。これが医者の使命だと思うんです。

 

今までの医者人生のなかで予想外の出来事で不幸な転帰を辿った方を何人か見てきました。その方々に報いるため、そして一人でも予想外の事態から患者を救うことがわれわれ医者の使命かなと思います。

 

息子の病気を通して、医者としての原点を考えさせられます。

 

でもでも、子供が病気になることは自分がなるよりつらいものです。

 

久しぶりに食べたサーティワンのバニラ。

おいしい。

 

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患者って友達?

4月も終盤となり、新人さんも職場に少しずつ慣れてきているようです。

 

私は仕事がら5箇所ほどの病院で働いているので、いろんな病院のフレッシュマンと関わります。

 

ここ数年、この時期になると強く感じることがあります。

 

私はリハビリテーション関係の仕事をしていて、新入職の理学療法士(PT)や作業療法士(OT)の様子をみています。病院にもよるのですが、まだ社会にでて間もない22.23歳くらいのPTやOTの口調があまりにも違和感を感じるのです。

 

自分のおじいさんやおばあさんくらいの年齢の患者に対して、まるで友達に話すかのごとく。

 

『◯◯だよねぇ。』

 

『え〜、そうなのぉ?』

 

『△△してみて。』

 

『××って言ったよね?』

 

とかまるで、友達に話すかのごとく口調。

 

確かに親しみやすく話すのは基本ですが、なんだか違うような気がするんですよ。礼儀が必要だと思うのは古い人間だからでしょうか?

 

最近の若い人を叱るとそのあと、その若い人の親が出てきてクレームを言ってくることもあるからいろいろ面倒だしなぁ。なかなか難しい。

 

でも若いPTやOTがそのような口調をするのは、おそらく上の人間も少なからずそのような口調をしている可能性もあるので、上の人間も気をつける必要もありますね。

 

今日もつかれた。自分へのご褒美にセブンのティラミス。これはなかなかおいしいです。

 

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医療の『隙間』

先週の土曜日、4月15日。

 

西村元一先生と村上智彦先生の対談する会が豊洲の『マギーズ東京』で行われたので参加させていただきました。

 

この対談だけはどんなに忙しくても、どんなに予定が詰まっていても絶対に行かなくては、という思いでした。実際いくつか予定が入っていましたが、それらを全てキャンセルして豊洲に向かいました。

 

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西村元一先生は金沢赤十字病院の消化器外科の先生。自らが胃癌にかかってしまい、医者としての立場と患者としての立場のズレ感、そして患者が本当に望んでいることをいろんなメディアや本を通して世の中に問いかけている先生です。

 

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村上智彦先生は破綻した北海道夕張市などの医療を変えていこうとしていて、いろんなパッシングなどに耐えながら地域医療を推し進めている理念の強い方です。2年前から急性骨髄性白血病にかかってしまい、骨髄移植などつらい治療に耐えながら今年の2月に退院されました。

 

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進行性の胃癌と戦っている医者と白血病と戦っている医者との対談です。

 

患者側から見た医者というもののあり方、そして患者が本当に欲していることってなんだろう?ってことが実体験からのお話だったので本当に胸が熱くなりました。

 

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最後の方で村上智彦先生がおっしゃった言葉がとても印象的でした。

 

今の医療は専門職が多くて、いろんなことができるようになってはいるものの、その分だけいろんな『隙間』ができやすい。誰もやってくれないことがあり、それが実は患者にとっては重要なことかもしれない。

俺はこれの専門だからこれしかやらない、

私はこの専門だからこれしかできない、、とか。

 

でも患者にとってはそのような隙間が実は重要でその隙間を埋める人が絶対に必要なんだ。

 

 

というような内容のことをおっしゃっていました。地域連携だなんだと連携とか専門性だとかを言っている方がいますが、重要なのは専門性とかでなく、やれる人がやればいいんだ。とやかく言わずにその『隙間』を少しでも埋められるようにみんなで行動していけばいいんだということかもしれません。いろんな意味で勉強になった対談でした。

患者の気持ち

自分も病気をもっているため、医者であり患者でもあります。知り合いに医者がたくさんいるので、ことあるごとにいろいろアドバイスをいただいて、検査をしてもらったり薬をだしてもらったりしていて、その点で『患者』としては恵まれているかもしれません。

 

体の異変に気付いたのは6年くらい前。4年前くらいが一番きつかったけど、今は比較的落ち着いています。

 

でも春先のこの時期が四季の中で一番つらいのです。冬場の寒い時期よりもはるかにきついです。体のだるさの日差変動はひどく、調子がいいと思ったら次の日は起き上がるのもきつい時もあったりします。

そして猛烈な体の痛みに襲われ、ロキソニン攻撃でかわしながら仕事することもあります。

 

体と心は連動していて、体の調子が悪いと心もすさみます。ちょっとした言葉一つで気分が悪くなりやすくなったり、場合によっては他の人に悪態を晒したりしてしまいます。言ってしまったり、態度に表してしまったあとに後悔するんですけどね。

 

病気になっていろいろな苦悩に陥った時には、そのひとの気持ちはその人にしかわからないものです。

 

『君の気持ち、よくわかるよ。』なんて言われても、『あんた、この病気になったことないだろ。なんでわかるんだよ。』と思うにすぎません。病気である自分を認め、そしてそんな中で何をしていくべきかを考えるまでには相当の時間が必要なのです。そのためには医療者を含め周りの人々は一定の距離感でその人を支え、話を聞いてあげるということが必要なんだと思います。

 

『あなたをずっと見ているし、支えているよ。』というさりげない気持ちが一番必要なのかもしれません。

 

一番難しいのは、その『一定の距離感』なんですけどね。

 

 

くじけそうになった時、『こち亀』の両さんのこの言葉が心にしみます。

 

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う◯ちの海を泳ぐ人

看護や介護をしていると『う◯ち』がらみのことがとても多いものです。

 

ある朝のこと、個室に入院していた認知症のおばあちゃんが、個室の中のトイレに入りました。

 

トイレに入ったのはいいものの、便器の中にう◯ちをせずに、トイレの床にう◯ちをしてしまいました。その後、おばあちゃんはう◯ちをしたのちにバランスを崩してしまい床に転げてしまいました。

 

その後、おばあちゃんはう◯ちの散乱した床の上でローリングするは、クロールをするは、まるで『まるでう◯ちの海の中を泳いでいる』ようだったとのこと。

 

夜勤がそろそろ終わりつつある看護師さんが、そのおばあちゃんの朝の検温に回った時に、トイレの中で『う◯ちの海を泳ぐ』おばあちゃんを見かけた時に、

 

『キャー』と発狂した声が病棟に響きわたったとのこと。

 

もうすぐ夜勤が終わるかという時に、う◯ちだらけになったトイレの掃除をしたそうです。身体中、う◯ちくさくなり、履いていた靴は処分したそうです。

 

おばあちゃんもわざとやったわけではないのですが、医療介護現場は予想もつかない修羅場?だらけです。こういったことが続くと心折れて離職してしまう方も少なくありません。それでいて看護職介護職は給料に見合っただけの収入を得ているとは言い難いのです。

 

少しでも看護職介護職の給料が上がりますようお上の方はご配慮いただけたら幸いです。

 

 

話が話なので今回は画像はいれません。

頸髄損傷 最近の傾向

頸髄損傷とは、、、

 

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『首の神経が切れて』と言うのはちょっと言い過ぎで、『首の神経が痛めつけられて』というのが適切かもしれません。

 

頭を強く打ったり、首が強い力でひねられたりすると首の骨が折れたりして、脳から繋がっている首の神経が圧迫されて痛めつけられます。

 

 

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首の神経は手や足の動きに大きく関わっているので、ここをやられると手足の動きが悪くなります。かなり強くこの神経をやられると最悪で手足の動きが全くできなくなるとか呼吸に関わる神経もやられるので、死亡することもあります。

 

そしてこの首の神経をやられると今の医療では手足の動きの悪さがかなり残像するケースが多く、車椅子生活や寝たきり生活を強いられることも珍しくはありません。

 

ひと昔前は交通事故や労災事故やスポーツなどで頸髄損傷になる方は若者がメインでした。若者は体力があるので、訓練で手足が不自由でも頑張って頑張って車椅子で移動や身の回りのことがあらかたできるくらいまで行く人も多く、人によっては車椅子バスケットボールなど障害者スポーツなどを行う方もいます。また星野富弘さんのように手足が動かなくても、口で立派な絵画を書かれたりします。

 

今は少し事情が変わってきました。最近の頸髄損傷の多くは高齢者になりました。ただ高齢者の交通事故や労災事故が増えたと言うわけではなくて、『高齢者の転倒』が増えたのです。

 

高齢者は頚椎ヘルニアや後縦靭帯骨化症などいろいろな要因で首の神経の通り道(脊柱管と言います)が狭くなります。頭を強く打ったりして強い力が首にかかると、首の神経が周りの骨(頚椎と言います)や椎間板に圧迫されやすくなります。そうすると首の神経を痛めやすいのです。

 

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結構多いパターンが酒で酔っ払ったおじいちゃんがふらついて転倒して、頭を床に強く打ってしまい、その後に手足が動かなくなってしまったと言ったケースです。

 

手足の動かなさの程度にもよりますが、高齢者が頸髄損傷をきたすと、高齢者は予備体力が低いのでやれることが限られます。その後の日常生活において介助がかなり多くなり、寝たきりになる方が少なくありません。

 

『酒飲んで転んだだけなのに、、、』

 

と後悔しても遅いことが多々あります。今までピンピンしていた方が一瞬で動けなくなるのは悲劇以外何ものでもないです。

 

 

高齢者を見ていると症状がなくても、首の神経の通り道が狭い方は多いです。特に男性。ですので首に違和感があったら、整形外科でレントゲンを撮ってもらったり、場合によりMRIなどで自分の首回りのことはチェックしてもらったほうがいいと思います。

 

もちろん転倒にも注意してください。くれぐれも酔っ払ったあとはふらふらしませんように。

 

 

『リハビリテーション』とは?⑤

リハビリテーション』を行う上で、やはり『リハビリテーション』の専門の医者は必要と思います。

 

自分自身が『リハビリテーション医』なので、それを否定してしまうと、元も子もないのですが。

 

リハビリテーション医にとって何が一番必要なのか?とある先生に質問した時にこう答えてくれました。

 

リハビリテーション医の生命線は「予後予測」だよ。』

 

こう答えてくれたのは、元横浜市総合リハビリテーションセンターセンター長の伊藤利之先生でした。

 

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前にも書いたように、病気や怪我を来したのちに、『元どおりになる』方もいれば、何かしら『後遺障害』を残す方もいます。

 

 

どれだけ『後遺障害』を残しそうか?

 

どれだけ『訓練』すれば、どこまで改善しそうか?

 

『後遺障害』を残した時にどのような生活をおくれそうか?どんな社会制度を使えばよりよい生活を送れそうか?

 

本人の希望に近いことがどのようにすれば達成できそうか?

 

などを考えていきます。

 

ある意味、『あなたは頑張っても元のようにはなりません。』と冷徹に宣告しなければいけません。

 

でもどこかで『闘病』との決別をして、『病気や障害との共存』をして新たな生活をしていって欲しいと思うのです。

 

『治りたい、治りたい。』とずっとずっと『訓練』にこだわる方もいます。このような方を非難するつもりはありませんが、ずっと『自分と戦う』より、『自分を受け入れて』楽しみを見つけながら生活したほうがいいような気がします。人生は短いですから。

 

『自分を受け入れる』ことは難しいと思いますが、そのお手伝いをしていくのが、『リハビリテーション医』の役目なのかもしれません。