リハドクターKのたわごと

医学医療への雑感を書き記します

認知症患者の転倒に思う

本日の朝日新聞デジタルの記事

 

『サ高住(サービス付き高齢者住宅)の事故、1年半で3000件超  半数以上、個室で発生』

 

サ高住は高齢者のための『住宅』であり、1日1回の安否確認と生活指導が義務づけられており、緊急通報システムがあれば、夜間の常駐職員がいなくてもOKなのである。60歳以上の高齢者と60歳未満の要介護者が入居対象者である。

 

最近では高齢者の要介護者を受けている人の割合が増えて、もともとは自立に近い方の住宅という位置づけから、なかば『施設』としての役割が多くなっているとのこと。

 

当然ながら、自立に近い方を対象にした住宅の中に認知症などを伴った患者が入っていれば、安全管理上でかなり手薄であり、危険認識が乏しい方の転倒による事故は増えることは容易に想像できるであろうことである。

 

データこそ出ていないが、住宅型有料老人施設、介護老人保健施設など介護士や看護師が常駐している施設であっても、要介護者の転倒などの事故は減らないものである。

 

さらに病院などでも、身体拘束を行なったとしても要介護者の転倒は減っていないのが現状なのである。

 

自称・正義の味方はこのように転倒事故などが起こったサ高住や施設、病院などに対し、『もっと転倒予防に関してリスク管理すべきだ。』とのたまうが、はっきり言ってそのようなことを言う方は実際、自分で認知症などの高齢者介護をやったことがない人がほとんど。施設や病院で夜間ずっと緊張しながら、転倒させないように介護を何回かしてみれば、そんなことは言えないはずだ。

 

仮に要介護者がサ高住や施設や病院で転んでしまった場合、故意に転ばせてしまったのであれば、責任問題であるが、ほとんどの場合、危険認識がなくて転んでしまうケース。介助しなければ歩けないのに、一瞬の隙をついて勝手に歩いてしまい転倒。骨折なんてケースは珍しくありません。そうなると、家族によっては『これは施設や病院の責任』として怒鳴り込んでくることも少なくありません。

 

場合によっては弁護士にそそのかされて、慰謝料を請求するために訴訟というケースも少なく^ - ^ないのです。

 

薄給の割に危険や訴訟のリスクが高い介護職や看護職。それはそう言った施設や病院では働きたくなくなるよね。感謝されることをしたいと思いつつも、緊張した現場で何かあった時に罵倒されるのだから。

 

現在、転倒による股の付け根の骨折、大腿骨近位部骨折の患者さんは日本全国で20万人近いと言われています。2030年には30万人になると予想されています。そのうちの7割か8割は認知症の患者さんです。

 

いつも思うのですが、転倒って100%防げません。風邪と一緒でいつ何時起こるかわからないという認識をみんなで分かち合わないと、今後の日本の介護の未来はないように思います。これからさらに転倒による事故は増えるでしょう。おそらくどんな綺麗事のリスク管理をしても絶対減らないと思います。患者家族もそのような現実を直視して欲しいと思います。

 

芋ようかんで有名な『舟和』さんからでている『芋ちっぷす』。

これもおいしい。

 

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介護は配偶者や子供がしなければいけないものなの?

私は脳卒中や骨折、脊髄損傷などで後遺症を伴った患者さんを相手にしています。

 

元に近い状態に戻る方もいれば、なんらかの『障害』を残す方もいます。

 

そして『障害』がある方でも、『介護』が必要でない方もいれば、『介護』が必要となる方もいらっしゃいます。

 

機能訓練や手術や服薬を含めた医療的な処置をすることにより『介護』が必要でなくなる可能性があるならば、極力その『医療』を行う意義がありますが、『医療』をもってしても『介護』が必要な方は少なからずいらっしゃいます。

 

『介護』が必要になった患者さんを見て、まず評価しなくてはいけないことは、その患者さんにどこまでの介護が必要なのか?ということです。

 

全然体が動かせないので、移動の時に相当な力が必要なのか?

 

体はそこそこ動けるけど、認知症などで危険認識がなく、転倒したり徘徊したりするリスクがあるので、力はいらないけど目が離せないレベルか?

 

家の中はなんとか動けるけど、お風呂は手助けが必要とか、部分部分でできるところとできないところはどこか?

 

単身生活なのか家族と暮らしているのか?

 

介護サービスを受けるだけの経済的余裕があるかどうか?

 

 

いろいろひっくるめて、どれだけの介護が必要か、家に帰るためにはどんなことが必要か、本当に家に帰っていいのだろうか?と考えます。

 

介護が必要な患者さんがいた場合、本人と家族にはいつもこんな話をします。

 

 

『◯◯さんは△△の状態なので、□□のような介護が必要になります。その介護を誰がするのかというと2種類あります。まず一つは自宅に帰って家族の方や雇ったヘルパーさんなどがやることになります。もう一つは介護施設などで介護士さんなどにやってもらうことです。どちらが正しくてどちらが間違っているということはありません。家に帰るなら家に帰るための調整をするし、できなければ施設入所などを考えなければいけません。』

 

仮に親が介護が必要になった場合、その配偶者や子供が自宅で介護しないと言った場合、なんだかその配偶者や子供が悪人みたく思われたり、見られたりする傾向にあります。

 

でも、その配偶者や子供にだってその人の人生があるわけで、仕事を辞めたりセーブしたりして、介護に専念せい!というのは全く賛成できないなぁと思います。

 

自宅でずっと介護している方は確かに素晴らしいのですが、その方と介護しない方を比べて、介護しない人は悪だみたいな考え方はちょっとナンセンスのような気がします。

 

患者さんは確かに住み慣れた家に帰りたいと思っていて、家族もそれを叶えたいと思っていつつも、介護量の問題、家族内のいろいろな要因からそれも叶わないのは仕方ない面もあるような気がします。

 

患者さん、それを取り巻く家族がどのような現実的な妥協点をみつけ、家族はどのように支えていくか、それが一番大切なことかもしれません。人間、いつ何時『介護』が必要になるかわかりません。いろんな場面を想定しながら、『介護』が必要になる前に家族内で協議をすることも必要ではないか、と思っています。

 

 

久しぶりに食べたスーパーカップ。

暑くなってきたので、一際美味しい。

 

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『ケア』の重要性

 

時々、意識状態が悪く、口からものを食べることができず、鼻から栄養を注入するための管が入っていて、おしっこが自分で出せなくて尿を出すための管が入っている患者さんをうけいれます。

 

自力では動けない

 

話すこともできない

 

食べることもできない

 

排泄も自力でできない

 

そんな患者さんも実際多く診ます。

 

急性期病院で集中的加療を行い、急場をしのいで『リハビリテーション』目的で転院してくるのですが、そのような患者さんに対して、最初に見るところはどこか?というと、、、

 

『口のなか』

 

です。

 

だいたいそのような患者さんの口の中はからからに乾燥していて、口の中に乾いた痰の塊がたまっていて、口の中が臭いのです。

 

だいたいそのような患者さんが8割くらいですね。

 

もう慣れたけど、『またか』と言った気持ちは拭えない感じ。

 

たまに残りの2割くらいの確率で口の中が湿潤でゴミはたまってなくて、口臭もしない方もいます。そのような患者さんを見るとすごく嬉しくなります。

 

偏見かもしれませんが、このように転院時に口の中が綺麗な方ほどその後の経過が良くて、元気になる方が多いような気がします。

 

このように口の中を清潔に保つことを広い意味で『口腔ケア』といいます。この『口腔ケア』がしっかりしている病院は本当にいい病院だと断言します。

 

治療は『キュア』と言いますが、『キュア』さえすれば、『ケア』なんて必要ないんだと考えている病院はたくさんあります。『キュア』は確かに重要ですが、それ以上に『ケア』が本当に重要だと思います。

 

口の中の他に、

 

ちゃんとお尻周りが清潔になっているか?

 

尿道口に垢がたまってないか?

 

褥瘡はないか?

 

指の間に垢がたまってないか?

 

患者全体をどうみていくか、このような『ケア』がすべての病院で当たり前にしっかりできるような医療体制であることを切に望んでいます。

 

今日の夕飯、スープスパゲティ。

おいしいなぁ。

 

 

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息子の病気

医者というのは因果な商売だと思う。

 

身内が病気になるとほとんどの場合、大丈夫だと思われる病気であっても、『最悪な場面』を考えてしまうものだ。

 

うちの息子、ゴールデンウィーク明けにある軽い病気で手術予定でした。その簡単な手術であってもいろいろ考えてしまうのです。

 

全身麻酔でこのまま目を覚まさなかったらどうしよう

 

手術後に声帯麻痺になって呼吸困難になって低酸素脳症になって一生寝たきりになったらどうしよう

 

術後の抗菌剤点滴でショック状態になったらどうしよう

 

とかね。ほとんど起こらないであろうトラブルも自分の息子の場合は100倍くらいの可能性で起きるかのごとく、妄想してしまいます。

 

そんなことを考えていたら、別の病気にかかってしまい、急ぐ手術ではないので今回の手術は延期になりました。

 

手術が延期になり、その不安は先送りされたのですが、今回の別の病気に関して、また不安な気持ちになってしまうのです。

 

1万分の1の可能性で肝機能がすごくわるくなって肝性脳症になったらどうしよう

 

数万分の1の可能性で輸血が必要になったらどうしよう

 

数十万分の1の可能性で死んだらどうしよう

 

 

下手に知識があると不安ばかり、最悪なことばかり考えるからロクなことはないですね。

 

 

じゃあ、楽観していていいのか?と思うと医者ってそれではいけないと思うんですよ。いつも言っているけど、人間の体ほど予想がつかないものはないし、医療ほど不確実なものはないのです。

 

あらゆるリスク、あらゆる最悪な場面を考えて治療に臨むこと。これが医者の使命だと思うんです。

 

今までの医者人生のなかで予想外の出来事で不幸な転帰を辿った方を何人か見てきました。その方々に報いるため、そして一人でも予想外の事態から患者を救うことがわれわれ医者の使命かなと思います。

 

息子の病気を通して、医者としての原点を考えさせられます。

 

でもでも、子供が病気になることは自分がなるよりつらいものです。

 

久しぶりに食べたサーティワンのバニラ。

おいしい。

 

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患者って友達?

4月も終盤となり、新人さんも職場に少しずつ慣れてきているようです。

 

私は仕事がら5箇所ほどの病院で働いているので、いろんな病院のフレッシュマンと関わります。

 

ここ数年、この時期になると強く感じることがあります。

 

私はリハビリテーション関係の仕事をしていて、新入職の理学療法士(PT)や作業療法士(OT)の様子をみています。病院にもよるのですが、まだ社会にでて間もない22.23歳くらいのPTやOTの口調があまりにも違和感を感じるのです。

 

自分のおじいさんやおばあさんくらいの年齢の患者に対して、まるで友達に話すかのごとく。

 

『◯◯だよねぇ。』

 

『え〜、そうなのぉ?』

 

『△△してみて。』

 

『××って言ったよね?』

 

とかまるで、友達に話すかのごとく口調。

 

確かに親しみやすく話すのは基本ですが、なんだか違うような気がするんですよ。礼儀が必要だと思うのは古い人間だからでしょうか?

 

最近の若い人を叱るとそのあと、その若い人の親が出てきてクレームを言ってくることもあるからいろいろ面倒だしなぁ。なかなか難しい。

 

でも若いPTやOTがそのような口調をするのは、おそらく上の人間も少なからずそのような口調をしている可能性もあるので、上の人間も気をつける必要もありますね。

 

今日もつかれた。自分へのご褒美にセブンのティラミス。これはなかなかおいしいです。

 

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医療の『隙間』

先週の土曜日、4月15日。

 

西村元一先生と村上智彦先生の対談する会が豊洲の『マギーズ東京』で行われたので参加させていただきました。

 

この対談だけはどんなに忙しくても、どんなに予定が詰まっていても絶対に行かなくては、という思いでした。実際いくつか予定が入っていましたが、それらを全てキャンセルして豊洲に向かいました。

 

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西村元一先生は金沢赤十字病院の消化器外科の先生。自らが胃癌にかかってしまい、医者としての立場と患者としての立場のズレ感、そして患者が本当に望んでいることをいろんなメディアや本を通して世の中に問いかけている先生です。

 

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村上智彦先生は破綻した北海道夕張市などの医療を変えていこうとしていて、いろんなパッシングなどに耐えながら地域医療を推し進めている理念の強い方です。2年前から急性骨髄性白血病にかかってしまい、骨髄移植などつらい治療に耐えながら今年の2月に退院されました。

 

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進行性の胃癌と戦っている医者と白血病と戦っている医者との対談です。

 

患者側から見た医者というもののあり方、そして患者が本当に欲していることってなんだろう?ってことが実体験からのお話だったので本当に胸が熱くなりました。

 

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最後の方で村上智彦先生がおっしゃった言葉がとても印象的でした。

 

今の医療は専門職が多くて、いろんなことができるようになってはいるものの、その分だけいろんな『隙間』ができやすい。誰もやってくれないことがあり、それが実は患者にとっては重要なことかもしれない。

俺はこれの専門だからこれしかやらない、

私はこの専門だからこれしかできない、、とか。

 

でも患者にとってはそのような隙間が実は重要でその隙間を埋める人が絶対に必要なんだ。

 

 

というような内容のことをおっしゃっていました。地域連携だなんだと連携とか専門性だとかを言っている方がいますが、重要なのは専門性とかでなく、やれる人がやればいいんだ。とやかく言わずにその『隙間』を少しでも埋められるようにみんなで行動していけばいいんだということかもしれません。いろんな意味で勉強になった対談でした。

患者の気持ち

自分も病気をもっているため、医者であり患者でもあります。知り合いに医者がたくさんいるので、ことあるごとにいろいろアドバイスをいただいて、検査をしてもらったり薬をだしてもらったりしていて、その点で『患者』としては恵まれているかもしれません。

 

体の異変に気付いたのは6年くらい前。4年前くらいが一番きつかったけど、今は比較的落ち着いています。

 

でも春先のこの時期が四季の中で一番つらいのです。冬場の寒い時期よりもはるかにきついです。体のだるさの日差変動はひどく、調子がいいと思ったら次の日は起き上がるのもきつい時もあったりします。

そして猛烈な体の痛みに襲われ、ロキソニン攻撃でかわしながら仕事することもあります。

 

体と心は連動していて、体の調子が悪いと心もすさみます。ちょっとした言葉一つで気分が悪くなりやすくなったり、場合によっては他の人に悪態を晒したりしてしまいます。言ってしまったり、態度に表してしまったあとに後悔するんですけどね。

 

病気になっていろいろな苦悩に陥った時には、そのひとの気持ちはその人にしかわからないものです。

 

『君の気持ち、よくわかるよ。』なんて言われても、『あんた、この病気になったことないだろ。なんでわかるんだよ。』と思うにすぎません。病気である自分を認め、そしてそんな中で何をしていくべきかを考えるまでには相当の時間が必要なのです。そのためには医療者を含め周りの人々は一定の距離感でその人を支え、話を聞いてあげるということが必要なんだと思います。

 

『あなたをずっと見ているし、支えているよ。』というさりげない気持ちが一番必要なのかもしれません。

 

一番難しいのは、その『一定の距離感』なんですけどね。

 

 

くじけそうになった時、『こち亀』の両さんのこの言葉が心にしみます。

 

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