リハドクターKのたわごと

医学医療への雑感を書き記します

くわばたりえ発言に思う

5月8日のテレビ番組『好きか嫌いか言う時間』と言う番組で『くわばたりえ』と言うお笑い芸人?が発した言葉が炎上しているらしいです。

 

この時のテーマは『病院の言い分VS患者のクレーム』と言うものだったらしく、以下のようなやりとりがあったようです。

 

医者『医者と患者さんの契約は必ずよくすると言うものではない。最善をつくして診療にあたるというのが契約。』

 

くわばた『100%なおせるものではない、と病院がそれを言ったらアカンちゃうんかいな。』

 

医者『病気に絶対に誰でも治せるものなんてないんです。』

 

坂上忍『それは当たり前だと思うよ。』

 

くわばた『(絶対は)ないかもしれないけど、一生懸命頑張ります、みたいな、、、』

と、くわばたりえさんは医者に『誠意』を求めたとのこと。

 

医者『100%尽くします、は言えます。100%治す、結果を問われると、これは無理ですよ。』

 

 

このようなやりとりがあったようです。

 

医療をやったことのある人であるならば、100%元どおりに戻すということは本当に難しいことであることがわかります。ましては予想がつかないことだらけ、そして予想外なことが起こるのが人間の体なので、100%元に戻すということが『治す』と言うことであれば、医者ができることはごくわずかなことにすぎないと思います。

 

人間、思いもよらない怪我や病気になることがあります。前のように完全に良くなる方もいれば、なかなか症状が改善されない方もいます。

 

できるところがあれば医者はまず自分でできるところまで最善を尽くし、自分だけの力では無理と判断した場合は他の専門家に紹介します。第一人者と呼ばれる方であっても100%良くすることはできないパターンは数多くあります。極端な例をあげれば癌の末期、重症な脳障害、、、。

 

そのような状態になってしまった場合、その状態をみながらどうサポート、ケアしていくことこそ必要なことのような気がします。

 

『ガタガタ言わねーで医者は治せばいいんだよ。』と言われたことがありますが、治るものがあれば、治らないものもある。まともな医者であればそのことを痛いほどよくわかっています。

 

難治性の病気で『100%治せる』と断言している医者がいたら、それはあなたの財産を奪い取る悪徳な医者と思ったほうがいいかもしれません。

 

しかし、くわばたえりさんの顔を見ると、なんとなく性格がわかるような気がします。少なくとも近寄りたくないなぁと思うし、診察とかしたくないなぁとふと思います。

 

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『マンション買いませんか?』⇨『買わねーよ。』

いまでも時々、こんな電話が病院にかかってきます。

 

受付のお姉さん『K先生、株式会社◯◯の✖️✖️さんという方から電話ですが、お繋ぎしましょうか?』

 

◯◯なんて会社を知らない場合、たいてい例の件の電話だと思い、受付のお姉さんに、

 

『病気でしばらくでてこれないと伝えといてください。』

 

と伝えます。

 

 

例の件とは巧みな?話術で高額なマンションを買わせようとする件であり、だいたいは悪徳業者の匂いがプンプンなのである。

 

最近の業者は病院に会社の名前を出しても取り次いでもらえないので、巧みな?手段でなんとか取り次いで貰おうとします。

 

特に多いのが偽って大学病院や大病院の名前を出すことが多くなりました。

 

 

受付のお姉さん『K先生、△△大学病院の××さん?先生?から先生にお電話があると言っていますが、お繋ぎしましょうか?』

 

こう言った電話はじつは困ったりするのです。△△大学病院の知らない人だけど、もしかしたら重要な用事かも?と思って繋いでもらうと、

 

業者『K先生ですね。私△△大学病院の××さんの知り合いの◎◎と申します。本日は先生の節税のためのお話があってお電話させていただきました。

 

(中略)

 

というわけで、□□のマンションはとてもいい物件で節税対策にはもってこいと思んですよ。

 

(さらに続く。聞く気がないので放置)

 

K先生、、聞いてますかぁ?

 

(きいてねーよ。そんなつまんねーはなし。)

 

ですので、、、、』

 

 

私『キョーミないんでさよなら。』

 

業者『先生、待ってください。もう少し聞いてください。』

 

私『がちゃん』

 

 

医者って金持ちと思われているみたいだけど、勤務医なんてマンションをぽいぽい買えるほど給料を貰っているわけじゃないんですよ。

 

マンション買うと節税にもなるし、投資として儲かるかもしれないらしいのだが、そんなに儲かるなら自分で買って儲ける方がいいんじゃね、と思いますね。

 

余るほどのお金があれば、いくらでも買いたいけどまぁ、借金してまで儲け話に乗りたいとは思わないですね。

 

最近では医者だけでなく、看護師さんやセラピストにまでこのような悪徳マンション業者から電話があるらしい。そしてどれだけ電話で話をしたかで、交渉人の手当てが変わるらしい、つまり長く電話をすればするほど報酬が上がるらしいので、そのような電話がきたらさっさと切ってあげましょう。

 

このような業者も虚しくないかなぁ。人を騙してまでお金を設けようって考え。金よりももっと大切なこと、世の中にはたくさんあるよ。

 

家で飼っているうさぎの『ウニーちゃん。』

6歳半でおばあちゃんうさぎで、もう放し飼いにしても逃げなくなりました。とても可愛い。

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認知症患者の転倒に思う

本日の朝日新聞デジタルの記事

 

『サ高住(サービス付き高齢者住宅)の事故、1年半で3000件超  半数以上、個室で発生』

 

サ高住は高齢者のための『住宅』であり、1日1回の安否確認と生活指導が義務づけられており、緊急通報システムがあれば、夜間の常駐職員がいなくてもOKなのである。60歳以上の高齢者と60歳未満の要介護者が入居対象者である。

 

最近では高齢者の要介護者を受けている人の割合が増えて、もともとは自立に近い方の住宅という位置づけから、なかば『施設』としての役割が多くなっているとのこと。

 

当然ながら、自立に近い方を対象にした住宅の中に認知症などを伴った患者が入っていれば、安全管理上でかなり手薄であり、危険認識が乏しい方の転倒による事故は増えることは容易に想像できるであろうことである。

 

データこそ出ていないが、住宅型有料老人施設、介護老人保健施設など介護士や看護師が常駐している施設であっても、要介護者の転倒などの事故は減らないものである。

 

さらに病院などでも、身体拘束を行なったとしても要介護者の転倒は減っていないのが現状なのである。

 

自称・正義の味方はこのように転倒事故などが起こったサ高住や施設、病院などに対し、『もっと転倒予防に関してリスク管理すべきだ。』とのたまうが、はっきり言ってそのようなことを言う方は実際、自分で認知症などの高齢者介護をやったことがない人がほとんど。施設や病院で夜間ずっと緊張しながら、転倒させないように介護を何回かしてみれば、そんなことは言えないはずだ。

 

仮に要介護者がサ高住や施設や病院で転んでしまった場合、故意に転ばせてしまったのであれば、責任問題であるが、ほとんどの場合、危険認識がなくて転んでしまうケース。介助しなければ歩けないのに、一瞬の隙をついて勝手に歩いてしまい転倒。骨折なんてケースは珍しくありません。そうなると、家族によっては『これは施設や病院の責任』として怒鳴り込んでくることも少なくありません。

 

場合によっては弁護士にそそのかされて、慰謝料を請求するために訴訟というケースも少なく^ - ^ないのです。

 

薄給の割に危険や訴訟のリスクが高い介護職や看護職。それはそう言った施設や病院では働きたくなくなるよね。感謝されることをしたいと思いつつも、緊張した現場で何かあった時に罵倒されるのだから。

 

現在、転倒による股の付け根の骨折、大腿骨近位部骨折の患者さんは日本全国で20万人近いと言われています。2030年には30万人になると予想されています。そのうちの7割か8割は認知症の患者さんです。

 

いつも思うのですが、転倒って100%防げません。風邪と一緒でいつ何時起こるかわからないという認識をみんなで分かち合わないと、今後の日本の介護の未来はないように思います。これからさらに転倒による事故は増えるでしょう。おそらくどんな綺麗事のリスク管理をしても絶対減らないと思います。患者家族もそのような現実を直視して欲しいと思います。

 

芋ようかんで有名な『舟和』さんからでている『芋ちっぷす』。

これもおいしい。

 

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介護は配偶者や子供がしなければいけないものなの?

私は脳卒中や骨折、脊髄損傷などで後遺症を伴った患者さんを相手にしています。

 

元に近い状態に戻る方もいれば、なんらかの『障害』を残す方もいます。

 

そして『障害』がある方でも、『介護』が必要でない方もいれば、『介護』が必要となる方もいらっしゃいます。

 

機能訓練や手術や服薬を含めた医療的な処置をすることにより『介護』が必要でなくなる可能性があるならば、極力その『医療』を行う意義がありますが、『医療』をもってしても『介護』が必要な方は少なからずいらっしゃいます。

 

『介護』が必要になった患者さんを見て、まず評価しなくてはいけないことは、その患者さんにどこまでの介護が必要なのか?ということです。

 

全然体が動かせないので、移動の時に相当な力が必要なのか?

 

体はそこそこ動けるけど、認知症などで危険認識がなく、転倒したり徘徊したりするリスクがあるので、力はいらないけど目が離せないレベルか?

 

家の中はなんとか動けるけど、お風呂は手助けが必要とか、部分部分でできるところとできないところはどこか?

 

単身生活なのか家族と暮らしているのか?

 

介護サービスを受けるだけの経済的余裕があるかどうか?

 

 

いろいろひっくるめて、どれだけの介護が必要か、家に帰るためにはどんなことが必要か、本当に家に帰っていいのだろうか?と考えます。

 

介護が必要な患者さんがいた場合、本人と家族にはいつもこんな話をします。

 

 

『◯◯さんは△△の状態なので、□□のような介護が必要になります。その介護を誰がするのかというと2種類あります。まず一つは自宅に帰って家族の方や雇ったヘルパーさんなどがやることになります。もう一つは介護施設などで介護士さんなどにやってもらうことです。どちらが正しくてどちらが間違っているということはありません。家に帰るなら家に帰るための調整をするし、できなければ施設入所などを考えなければいけません。』

 

仮に親が介護が必要になった場合、その配偶者や子供が自宅で介護しないと言った場合、なんだかその配偶者や子供が悪人みたく思われたり、見られたりする傾向にあります。

 

でも、その配偶者や子供にだってその人の人生があるわけで、仕事を辞めたりセーブしたりして、介護に専念せい!というのは全く賛成できないなぁと思います。

 

自宅でずっと介護している方は確かに素晴らしいのですが、その方と介護しない方を比べて、介護しない人は悪だみたいな考え方はちょっとナンセンスのような気がします。

 

患者さんは確かに住み慣れた家に帰りたいと思っていて、家族もそれを叶えたいと思っていつつも、介護量の問題、家族内のいろいろな要因からそれも叶わないのは仕方ない面もあるような気がします。

 

患者さん、それを取り巻く家族がどのような現実的な妥協点をみつけ、家族はどのように支えていくか、それが一番大切なことかもしれません。人間、いつ何時『介護』が必要になるかわかりません。いろんな場面を想定しながら、『介護』が必要になる前に家族内で協議をすることも必要ではないか、と思っています。

 

 

久しぶりに食べたスーパーカップ。

暑くなってきたので、一際美味しい。

 

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『ケア』の重要性

 

時々、意識状態が悪く、口からものを食べることができず、鼻から栄養を注入するための管が入っていて、おしっこが自分で出せなくて尿を出すための管が入っている患者さんをうけいれます。

 

自力では動けない

 

話すこともできない

 

食べることもできない

 

排泄も自力でできない

 

そんな患者さんも実際多く診ます。

 

急性期病院で集中的加療を行い、急場をしのいで『リハビリテーション』目的で転院してくるのですが、そのような患者さんに対して、最初に見るところはどこか?というと、、、

 

『口のなか』

 

です。

 

だいたいそのような患者さんの口の中はからからに乾燥していて、口の中に乾いた痰の塊がたまっていて、口の中が臭いのです。

 

だいたいそのような患者さんが8割くらいですね。

 

もう慣れたけど、『またか』と言った気持ちは拭えない感じ。

 

たまに残りの2割くらいの確率で口の中が湿潤でゴミはたまってなくて、口臭もしない方もいます。そのような患者さんを見るとすごく嬉しくなります。

 

偏見かもしれませんが、このように転院時に口の中が綺麗な方ほどその後の経過が良くて、元気になる方が多いような気がします。

 

このように口の中を清潔に保つことを広い意味で『口腔ケア』といいます。この『口腔ケア』がしっかりしている病院は本当にいい病院だと断言します。

 

治療は『キュア』と言いますが、『キュア』さえすれば、『ケア』なんて必要ないんだと考えている病院はたくさんあります。『キュア』は確かに重要ですが、それ以上に『ケア』が本当に重要だと思います。

 

口の中の他に、

 

ちゃんとお尻周りが清潔になっているか?

 

尿道口に垢がたまってないか?

 

褥瘡はないか?

 

指の間に垢がたまってないか?

 

患者全体をどうみていくか、このような『ケア』がすべての病院で当たり前にしっかりできるような医療体制であることを切に望んでいます。

 

今日の夕飯、スープスパゲティ。

おいしいなぁ。

 

 

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息子の病気

医者というのは因果な商売だと思う。

 

身内が病気になるとほとんどの場合、大丈夫だと思われる病気であっても、『最悪な場面』を考えてしまうものだ。

 

うちの息子、ゴールデンウィーク明けにある軽い病気で手術予定でした。その簡単な手術であってもいろいろ考えてしまうのです。

 

全身麻酔でこのまま目を覚まさなかったらどうしよう

 

手術後に声帯麻痺になって呼吸困難になって低酸素脳症になって一生寝たきりになったらどうしよう

 

術後の抗菌剤点滴でショック状態になったらどうしよう

 

とかね。ほとんど起こらないであろうトラブルも自分の息子の場合は100倍くらいの可能性で起きるかのごとく、妄想してしまいます。

 

そんなことを考えていたら、別の病気にかかってしまい、急ぐ手術ではないので今回の手術は延期になりました。

 

手術が延期になり、その不安は先送りされたのですが、今回の別の病気に関して、また不安な気持ちになってしまうのです。

 

1万分の1の可能性で肝機能がすごくわるくなって肝性脳症になったらどうしよう

 

数万分の1の可能性で輸血が必要になったらどうしよう

 

数十万分の1の可能性で死んだらどうしよう

 

 

下手に知識があると不安ばかり、最悪なことばかり考えるからロクなことはないですね。

 

 

じゃあ、楽観していていいのか?と思うと医者ってそれではいけないと思うんですよ。いつも言っているけど、人間の体ほど予想がつかないものはないし、医療ほど不確実なものはないのです。

 

あらゆるリスク、あらゆる最悪な場面を考えて治療に臨むこと。これが医者の使命だと思うんです。

 

今までの医者人生のなかで予想外の出来事で不幸な転帰を辿った方を何人か見てきました。その方々に報いるため、そして一人でも予想外の事態から患者を救うことがわれわれ医者の使命かなと思います。

 

息子の病気を通して、医者としての原点を考えさせられます。

 

でもでも、子供が病気になることは自分がなるよりつらいものです。

 

久しぶりに食べたサーティワンのバニラ。

おいしい。

 

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患者って友達?

4月も終盤となり、新人さんも職場に少しずつ慣れてきているようです。

 

私は仕事がら5箇所ほどの病院で働いているので、いろんな病院のフレッシュマンと関わります。

 

ここ数年、この時期になると強く感じることがあります。

 

私はリハビリテーション関係の仕事をしていて、新入職の理学療法士(PT)や作業療法士(OT)の様子をみています。病院にもよるのですが、まだ社会にでて間もない22.23歳くらいのPTやOTの口調があまりにも違和感を感じるのです。

 

自分のおじいさんやおばあさんくらいの年齢の患者に対して、まるで友達に話すかのごとく。

 

『◯◯だよねぇ。』

 

『え〜、そうなのぉ?』

 

『△△してみて。』

 

『××って言ったよね?』

 

とかまるで、友達に話すかのごとく口調。

 

確かに親しみやすく話すのは基本ですが、なんだか違うような気がするんですよ。礼儀が必要だと思うのは古い人間だからでしょうか?

 

最近の若い人を叱るとそのあと、その若い人の親が出てきてクレームを言ってくることもあるからいろいろ面倒だしなぁ。なかなか難しい。

 

でも若いPTやOTがそのような口調をするのは、おそらく上の人間も少なからずそのような口調をしている可能性もあるので、上の人間も気をつける必要もありますね。

 

今日もつかれた。自分へのご褒美にセブンのティラミス。これはなかなかおいしいです。

 

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