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リハドクターKのたわごと

医学医療への雑感を書き記します

私が医者になろうとした理由 パート1

私の生まれ故郷は群馬県太田市太田市と聞いてピンと来るのは、よほど車が好きか、風俗が好きな方くらいしかいないのではないだろうか。

 

 

群馬県太田市は私が高校生のころは北関東市の風俗街を持つ地であり、そしてレガシーやフォレスターで有名なSUBARUのお膝元なのだ。

 

 

そのため私自身『SUBARU』に対する思いは強い。だから地元で働くことを前提に考えていたので『将来はSUBARUに勤めたいなあ。』と考えていた。

 

 

数学がそこそこ得意だったので理系ということもあり、漠然と自動車の設計士になりたいなあと考えていました。そのころの志望校は自宅から一番近い大学・群馬大学工学部であった。

 

とりあえず合格圏内にはいるかなあ、と高校3年の夏休みくらいまでは余裕をかましていました。

 

 

そんなある夏の日。ある本のあるフレーズが私の人生を変えました。中学時代の恩師から『この本、おもしろいから読んでみてみるといいよ』と渡された1冊の本。

 

 

 

 

『医者は本来殺し屋なのだ。人間だれもが避けられない死をいかに納得させるか、その手伝いをする仕事なのだ。』

 

 

 

 

『医者は患者を助けてなんかいない。助かったのはその人たちに助かる力があったからだ。医者はその生命力に力をかしているだけだ。』

 

 

 

 

 

 

この二つのフレーズは私の全身をかけぬけ、稲妻が走ったかのような衝撃を覚えた。

 

 

 

その本の名前は渡辺淳一の『無影灯

 

 

 

 

医者?

 

 

 

 

いままで考えたことのない仕事が心の中に入り込んだ。

『医者って人を長生きさせる職業だろ。』とそれまで医者というイメージはそれしかなかった。ただこの二つのフレーズは自分の中の基本的な部分をなぜか壊して、新たなものを作り出す原動力となった。

 

 

『医者ってものになってみたいな。』と考えるようになった。

 

 

 

思い込んだら止められない。

 

 

 

『医学部を受けようと思うんだけど、、、。』

 

そのことを両親、学校の先生に話したら大笑いされた。

 

 

 

『よほどの奇跡が起きない限り無理だよ。』 

 

 

 

 そう言われた。  確かにそのとおり。

 

 

 

 

たしかに、そんな医学部に入れるほどの成績は持ち合わせていなかったのである。その時の私の成績は学年で50数番。うちの高校で医学部に入れる最低ラインで10番以内。

 

 

 

 

遠い道のりだった。しかし、『キセキ』は時に起きるものである。

 

 

 

 

 

 

続く