私が医者になろうとした理由 パート1
くわばたりえというお笑い芸人が、『100%治せないと、病院が言ったらあかんちゃう?』とテレビで発言していた、と聞いてふと自分の昔のことを思い出したので書いてみようと思います。
私の生まれ故郷は群馬県太田市。太田市と聞いてピンと来るのは、よほど車が好きか、風俗が好きな方くらいしかいないのではないだろうか。
群馬県太田市は私が高校生のころは北関東一の風俗街を持つ地であり、そしてレガシーやフォレスターで有名な『SUBARU』のお膝元なのだ。
そのため私自身『SUBARU』に対する思いは強く、だから地元で働くことを前提に考えていたので『将来はSUBARUに勤めたいなあ。』と考えていました。
数学がそこそこ点がとれたこと、理系は就職に有利ということもあり、漠然と自動車の設計士になりたいなあと考えていました。そのころの志望校は自宅から一番近い大学・群馬大学工学部でした。
とりあえず合格圏内にはいるかなあ、と高校3年の夏休みくらいまでは余裕をかましていました。
理系でしたが私の得意科目は『国語と社会』。特に哲学が好きでニーチェやショーペンハウエルなどを読んでいました。ただかなり大きな世界の話なので、あまり理解はできなかったし、哲学は就職先がないと聞いていたので、大学で学ぶ気はあまりありませんでした。これは自分の家が貧しかったので、まずはしっかりと就職してお金を稼がなくてはいけないと思ったからです。
そんな高3の夏の日。ある本のあるフレーズが私の人生を変えました。中学時代の恩師から『この本、おもしろいから読んでみてみるといいよ』と渡された1冊の本。
『医者の話だけど、この本を読んでみて、お前なら何か感じるんじゃないか?』
と恩師は私が哲学好きだから、その中で何かを感じることを期待してくれたのかもしれません。
この本の中に強烈なフレーズが満載でした。そうちの2つを紹介します。
『医者は本来殺し屋なのだ。人間だれもが避けられない死をいかに納得させるか、その手伝いをする仕事なのだ。』
『医者は患者を助けてなんかいない。助かったのはその人たちに助かる力があったからだ。医者はその生命力に力をかしているだけだ。』
この二つのフレーズは私の全身をかけぬけ、稲妻が走ったかのような衝撃を覚えました。
医者?
いままで考えたことのない仕事が心の中に入り込んだ。
『医者って人を長生きさせる職業だろ。』とそれまで医者というイメージはそれしかありませんでした。ただこの二つのフレーズは自分の中の基本的な部分をなぜか壊して、新たなものを作り出す原動力となりました。
気がついたら工学部から医学部に進路を変更していました。
続く