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リハドクターKのたわごと

医学医療への雑感を書き記します

震災に思う

2011年3月11日14時46分

 

千年に一度と言われるくらいの未曾有の大震災が東北の広いエリアを襲いました。

 

あるエリアでは津波で多くの命、建物、インフラを失い、あるエリアでは原発事故で人が住めないエリアになってしまいました。

 

あれから6年。長かったような短かったようなそんな気分。

 

私が住んでいる群馬県でも相当揺れ、東北とは比べものにはならないくらいですが、それなりに被害がでました。

 

地震が起こった直後、すぐに停電になり、病院内の電気が自家発電になりました。しかし、エレベーターは止まったままで中に誰かいるかどうかもわからず不安な状態でした。

 

そしてエレベーターがないため、1階でリハビリテーションをしていた車椅子の患者さんが3階と4階の病室に戻ることができず、人海戦術で一人の車椅子の患者さんあたり四人のスタッフを使って持ち上げながら階段を上って1階から3階と4階の病室に戻しました。

 

また食事に関してもエレベーターが使えないので2階の厨房から病室までバケツリレーで患者さんの食事を運びました。

 

震災が起こって数日後、ご存知の通りガソリン不足でかなりのスタッフの通勤が困難になったり、物流が停滞し、食事の材料がなくなり、患者さんの食事も保存食になったり、少なくなったりしました。このように不便な状態であっても患者は文句も言わず、われわれスタッフに対しての感謝の気持ちをいつも表してくれたことにわれわれも嬉しい思いでした。

 

しばらくたってわれわれの住んでいるエリアは震災の前の状態に戻りました。戻ったら戻ったで、患者さんからは『こんな食事、食えるか!』とか『看護師が来るのが遅い!』とか不満が多く聞かれるようになりました。

 

 

人間、便利で安定な場所にいるとちょっとしたことで『不満』な気持ちが強くなるもんだなぁ、とつくづく思います。

 

震災という極限の生活をしてみて初めて『当たり前と思ったことが非常に大切で幸せなこと』だと知ったはずなのに、また便利な生活に戻るとそれをわすれてしまう。なんて愚かなんだと思います。でもそれが人間なんだろうな、と思います。

 

人間、便利すぎると本当に大切なものがわからない、多くのものを失って本当に幸せなことがわかる。

 

震災を通じてそのように感じます。

 

震災のことを考えると家で飼っているウサギのことを思い出します。たまたま震災の1週間前に長男の8歳の誕生日祝いにウサギを飼いました。このウサギもうちに来て6年。イレウスで死にかかったり、外に脱走したら猫に襲われ、左足を骨折して変形してしまいましたが、今も元気でいてくれています。人間の嫌なことを考えるときに、このウサギを見て気持ちを落ち着かせるとともに癒されています。

 

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