リハドクターKのたわごと

医学医療への雑感を書き記します

家族のけがを通して考えたこと

久しぶりのブログです。

書くネタがなかったとか、書く気力がなかったとかそういったことではなくて、長文を書くだけの時間を作ることができなかったのです。

 

6月の初めに私の嫁さんが転んで左肘の骨折をしてギプス固定になってしまいました。不幸中の幸いで骨折のズレは少なく、手術はしなくても良い状態でした。でも左上肢の手首から肩のちょい下までは固定されているので、身の回りのことはある程度出来ても家事や車の運転ができないのである。

 

ということで骨折したその日から主夫生活+プチ介護生活が始まりました。まず朝5時30分に起きて朝食作り、三人のお弁当作り、洗濯、飼いうさぎの小屋掃除、少し早めに家を出て嫁さんの職場まで送迎、フルに仕事を終えて、嫁さんを職場まで迎えに行き、子供のお稽古ごとの送迎、夕食準備、嫁さんのお風呂での洗髪など、時間が余ればトイレの掃除、部屋の掃除、ゴミ捨てなどをしていました。

 

夜中に朝晩の仕込みをして最後にビールを飲み、床に入るような生活を6週間近くしていました。家事の能力と時間をうまく使う方法に磨きがかかりました。そして二人の息子もことあるごとにいろいろ助けてくれたので嬉しかったです。

 

一部身体介護、家事援助、送迎など介護に関わることを少しだけしてきましたが、フルで仕事を持っていると本当に時間の使い方を上手くしないとかなり辛い。ましてや身体介護が多かったり、認知症を持った方を介護しながらフルで仕事をするのは正直しんどいと思いますね。やったことがある人にしかわからない精神的、身体的にしんどさがあると思います。

 

先日、認知症があって脳梗塞で動けなくなり、ほぼ寝たきりになったおばあちゃんの娘さんがこんなことを言ってました。

 

『おばあちゃん、動けなくなっちゃったけど、私はむしろ今の方が気持ち的に落ち着いています。脳梗塞になる前は動けていて、徘徊もしちゃうんで警察にお世話になることもありました。いついなくなっちゃうんだろと不安で仕事も手につきませんでした。でも仕事しないと生活できないから。動けなくなっちゃったけど不安はかなり少なくなりました。』

 

家で介護するのは当たり前、と思われていたり、それを推進する方が多いですが、必ずしもそれが全て正しいとは思わない。それはずっとそう思ってきたし、これからも変わらない。できそうな人がすればいいし、したい人がすればいい。

 

おかげ様で嫁さんの骨折は完治し、今は全くプチ介護する必要もなくなり、家事もフルでする必要はなくなりました。でもいざまたやる機会が出来てももっと上手くやれそうな気がします。ある意味、『怪我の功名』かな。

 

最近作った息子への最後の弁当です。いつも美味しいって言ってくれたことに感謝。

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