リハドクターKのたわごと

医学医療への雑感を書き記します

せいたいや

世の中では自費整体サロンやらマッサージ屋さんが増えています。疲れている人が多いので、そのような需要が増えているのかもしれません。

 

中には理学療法士の資格を持っているのに、その資格を隠して整体屋をやっている人もいます。病院に勤めているよりも自由は効くし、当たれば収入も増えるし。じゃあ、なんで理学療法士の資格を隠すのかと言えば、理学療法士の資格で自費診療するのは法律上禁止されていますので。

 

保険診療ではないので特別な資格がなくても整体屋はできます。だけど、『硬いところを揉めばいい。』とか『動きが悪いところを動かせばいい。』とだけ考えて整体業をするのはやめて欲しいのです。やはり整体屋さんもしっかりと解剖や病気に関して勉強してほしいものです。

 

顧客が欲しいばかりに、とにかく客が来たら『逃がさないぞ。』と思う整体屋が多くて、頚椎の脊柱管(脊髄という神経の通り道)が狭いのに全く評価をせずに首を強引に動かして、脊髄損傷にしてしまうような例も後をたちません。

 

『困ったら医者に送ればいいや。』と言った困った輩もたくさんいて、若かりしころそういった整体屋に脊髄損傷患者を送られたことがあるので、基本的に整体屋は信用していません。

 

『痛いのに医者は何もしてくれない。だから整体屋に行く。』と言う方も多いでしょう。ですが、医者はリスクを把握し、どこまでが安全かどこからが危険かの線引きをします。その線引きのもと、理学療法士などがフォローしているのです。本来、『やってもらう』より『自ら考えてどう動けばいいか』を考えていただくのが医療のあるべき姿なのです。

 

整体屋はそのような細かなリスク管理ができません。商売なのでどう客を満足させるかが勝負です。医療機関と目的意識がちがうのです。

あることないこと客にお話し、どうリピートさせるかを考えています。

 

客も『してもらうこと』に喜びを感じるので自然と整体屋に流れていってしまうことが多いですが、まぁそれで満足ならそれもいいかもしれません。ですが、やはり何かしら異常を感じたら医療機関を受診していただき、重篤な病状がないことだけは確認してください。漫然と数ヶ月、整体されて気づいたら癌の末期で手がつけられなくなっていた、なんてこともありえますので。

セクハラ患者は罪にならないのか?

入院している患者さん。まともな方もいる一方、まともじゃない方も実際多いものです。そのまともじゃない中の筆頭にあげられるのが女性看護師に対するセクハラでしょう。

 

いつ何時も誰かしらセクハラ的な言動をしてくる人がいます。看護師のお尻を触ったり、猥褻な話をしたり、、、

まともな看護師であれば、そんなことをされて喜ぶ人はいません。看護師がそのような行為をされると喜んでいると思っている人もいるとかいないとか、、、AVじゃないんだから。

 

お尻を触ったり、猥褻な話をしたりしても看護師は個室やカーテンで仕切って仕事をしているので誰かに見られことがなく、セクハラをしてきた患者の多くはシラを切ります。挙げ句の果てに開き直ってクレームをつける輩もいるからタチが悪いです。そんなことで泣き寝入りしていて心に傷をもつ看護師もたくさんいるのです。

 

病気は辛い、ストレスがたまる、ムラムラする、、、いろいろあると思います。そして『患者だから許されるだろう。』と言う甘えもかなりあるような気がします。確かに病気になるのは辛いかもしれませんが、社会生活で許されるところ許されないところの線引きはするべきでしょう。

 

電車の中で意図的に女性のお尻を触ったら、下手したら痴漢で警察に捕まります。さらに下手したら犯罪者となって仕事や家族すら失います。ただ病院で看護師のお尻を触ったり、セクハラ発言をしても、笑い話で済まされてしまう現状にはなんか納得できないのは私だけだろうか?

 

私がリハ医になった理由

私の医者としてのキャリアは整形外科医として始まった。

 

 

 

 

最初の3年間はとにかく仕事を覚えることに没頭した。ほとんどが雑用だったが、雑用することが仕事を覚える第一歩だと割り切っていた。最近の若い医者は雑用をしたがらない。雑用を通していろんな業種の人とうまくコミュニケーションをとることこそ本来必要なことだと思うのだが、、、。最初の1年はひたすら仕事に没頭し、年間で休みは3日しかとらなかった。次の1年は20日くらい、3年目でようやく50日くらいとれるようになったような気がする。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

次の3年間は仕事を覚えて、いろんなことができるようになったので、楽しい時間だった。手術も救急患者の処置も一通りなんとかこなせるようになったので、肉体的につらい時もあったが気力でカバーできるような充実感があった。

 

 

 

 

しかし医者になって7年目。仕事に対しての疑問と虚無感が自分を襲ってきた。急性期病院に勤めていると、『在院日数』というものにより、手術が終わった後の患者さんや救急治療が終わった患者さんを早めに退院させなくてはいけないのだ。手術が終わってどんなに動けなくても、どこかの違う病院に転院させたり、施設に入所させたり、患者さんが動けまいが、言葉は悪いが『追い出さなければ』いけないのだ。ある高名な医者はこういった動けない患者を不良債権と言っていた。この言葉も許せなかった。

 

 

 

『これ流れ作業だ。』

 

 

 

ふとそう思った。

 

 

 

そう考える日が続いた。『流れ作業』から脱却したい。この『不良債権』と言われる患者さんを少しでもいい形で生活させたい。もしかしたら時間をかければこの『不良債権』と言われる患者さんも『優良債権』になれるかも?という気持ちも起こった。その見極めをする医者が必要ではないか?と思った。しかし、そういったマネージができる医者はあまりいない。少なくとも自分が所属する医局でできる人はいないし、近隣でもそういった医者は見当たらない。

 

 

 

 

 

 

どうしたらいいだろう?と考え、大学時代の友達に相談した。

 

 

 

リハビリテーション科というのがあるよ。慈恵とか横浜とか北海道とかが有名だよ。』

 

 

 

 

  自分の県には困った患者を管理できる医者がいないのがとてつもなく悲しかった。だから、自分が道を切り開こうと思った。

 

 

 

 

自分の生まれ故郷を離れ、横浜にリハビリテーションの勉強を始めに行った。横浜に行ったことはその後の仕事においてとても素晴らしい経験をさせていただいたいい時間だった。

 

 

 

 

大学別にリハビリテーションに関する考え方は違う。横浜市大の考え方は自分にはあっていた。それは今に至るまで変わらない。それは何よりも『予後予測』を大切にし、それに至るまでの逆算的過程を徹底的に行う姿勢だ。

 

 

 

『いつまで預かってもらえますか?』

入院したての患者さんの家族からこのセリフを言われると、怒りとやるせなさでとたんにやる気を失う。

 

 

『いつまで預かってもらえますか?』

 

       =

 

『私たちはこのひとをみたくないのでなるべく長い時間ここにおいてください』

 

 

 

なのである。

 

 

 

一方、『どんな形であるにしてもうちで介護してみていくつもりです。』

 

 

 

と言われると、いつもの気力の150%以上を使って、徹底的に少しでも機能をよくするために考え付くことすべてをやっていきたいとおもう。 そして徹底的な在宅環境調整を用意していく。

 

 

 

 

 

 

 

話をしていても家族の患者さんに対する愛情は年々減ってきているように思う。まあ、その患者さんが病前に家族にひどい仕打ちをしていたのならわかるが、どんなにその患者さんが家族に懸命に尽くしても言い方はかなり悪いが『バカ息子』『バカ娘』はそういったことも分からず、その患者を思いやる心は確実に減ってきているように思う。

 

 

 

たしかに世の中も変わり、働かなければ食べていけないのはわかる。介護できない状態にあるのはわかるのだが、ものには言い方がある。

 

 

 

 

『いつまで預かってもらえますか?』

 

 

 

まるで動物でも預けるような言い方がとても許せない。そしてこの言葉には愛情を感じないのだ。

 

 

 

 

せめて

 

『現状では在宅介護は難しいが、今現在そして今後、私たちが患者さんにできることはありますしょうか?』

 

 

 

 

と言われれば、俄然やる気が出る。なんとか少しでもいい方向に向かわせてやりたいと思う。

 

 

 

 

私のやる気は人間的愛情がどこまであるかで変化していく。

『あとはリハビリ次第です。』

急性期の病院から転院してくる患者さんはこう言われてリハビリテーション専門病院にやってくる。

 

 どう考えても今後歩けそうもない患者さんに『リハビリをすれば歩けるようになりますよ。』と無責任に言われてリハビリ病院に来る患者さんもいる。

 

 

 『あとはリハビリ次第です』

 

 

 今や急性期病院は在院日数短縮の宿命が激しいため1日でも早く退院させたいので、患者さんとその家族に早めのリハビリテーション病院転院を促しています。その気持ちは痛いほどわかります。そうしないと今や急性期病院は維持できません。

 

 

 リハビリテーションを受け持つ医者が依頼先の医者に求めることは、詳しい予後予測でなく、『この患者さんはこうなる可能性があるから、積極的に動かしてくれる環境で治療してもらいたい』という患者さんに対する愛情である。こういった熱意とか愛情を示してくれれば、こちらもやる気は出るが、こういった愛情のある医者は確実に減った。

 

 

 

 急性期治療が終わればおしまい、あとは転院先を探す。それが今の急性期医療の現状。本当にこれでいいんだろうか?若い医者がこういった流れ作業的治療に終始していて、患者さんに愛情を持てるのか?甚だ疑問であり、悲しい現状である。

男性医師の容姿における傾向

昨年の終わり頃、某所である研修会に参加しました。結婚式もできるような広い部屋。

 

 

 

研修会には数えてみて200人以上の医者が集まっていました。ほとんど男性。見た目に20代の医者が多かったかな。

 

 

不真面目な私は研修そっちのけでふと周りを見回してみて、男性医師の容姿をじっくりと見つめてみました。その結果男性医師は容姿的に5種類に分けられるのではないか?と考えました。

 

 

 

 

       1.福山雅治風に純粋にかっこいいタイプ

 

 

 

       2.体がぼってりとして顔がジャガイモ君のようなタイプ

 

 

 

       3.『自分はカッコイイと自分で思っている』フェニミストタイプ

 

 

 

       4.オタクノヨウナタイプ

 

       

       5.こわもてタイプ

 

 

 

 1.は約5%  2.は約30%  3.は約15% 4.は30% 5.も20%  くらいかな?

 

 

 3.のようなタイプの人が増えたな~って最近思います。若い医者はなんだかエステ?してたり、香水をかけたり、、、。学生時代は勉強ばかりしていたから、きっと医者になってから女性デビューする人が多いんだろうな。医者はそれなりにもてるかも知れません。どこで働いていようが、よほどでなければまず生活に困るようなことはありません。そういう安定感を求めて寄ってくる女性は少なからずいます。

 

でもなんか今ひとつイケテない感じです。仕草やファッションは長い経験のもとで積み重なるのでもう少し頑張らないといけないかもね、と勝手に思っていました。

 

 わたくしはどうかというと、、、、4.のようなタイプだったりします。『医者になればもてる』という言葉を信じて医者になったものの、1回もそういった経験がなく今に至っています(涙)

リハビリテーション医ってなに? パート2

さて前回の続き。

 

 

 リハビリテーション医の三流と一流の違い。

 

 

 三流のリハビリテーション医は理学療法士作業療法士に丸投げで訓練士に患者さんのゴール設定やリハビリテーションプランを立ててもらう人。

 

 二流のリハビリテーション医は理学療法士作業療法士に意見を聞きながらゴール設定やリハビリテーションプランを訓練士と共に立てる人。

 

一流は短時間のうちに患者さんの特性を見抜き、ゴール設定を行い、理学療法士作業療法士の能力を見極めつつ、そのリハビリテーションプランを立てられる人。

 

 

リハビリテーション医に一流から三流まであるのと同様、理学療法士作業療法士言語聴覚士にも一流から三流までいる。

 

 

この事実を知らない人は結構多い。患者さんにしても医者にしても訓練士の能力はみな同じだと思っている人は結構多い。しかし、能力の差は極めて大きく、患者さんの特性を見抜く人と見誤る人で大きな差が出る。

 

 

 患者さんの評価をするカンファレンスがあるが、そのカンファレンスもなあなあでプリント丸読みのところが多い。そのため大事な部分が抜けおち、患者さんに大きな損失を与えてしまうことが多い。リハビリテーション医はその患者さんの特性をみんなに分かってもらい、きちんとした方向付けをしていく必要がある。なあなあのカンファレンスなんて時間の無駄そのもの。いかにその方向付けの重要性を分かってもらうのが、リハビリテーション医の腕である。ちなみに一流の訓練士には余計な言葉はいらないことが多く、一つ一つの発言や質問がかなり的を得ている。彼らはリハビリテーション医の書いた処方箋を一目見て患者さんをどの方向に向けていくかがわかるから。

 

 

安全管理ができ、リハビリテーションチームをまとめること、、、これが最大のリハビリテーション医の仕事である。