リハドクターKのたわごと

医学医療への雑感を書き記します

医者は本当に足りないのか?

世の中は医者不足と言われ、来年度から仙台に1つ医学部が増えます。

 

20年前に比べ、医師免許所有者は30万人を超え、20年前に比べ30%以上増えています。

 

私が学生だったころ、医学部の教員にこのようなことを良く言われました。

 

『君らが医者になって何年か経つころには医者は余る。実力がないと病院をクビになって失業することも考えられるから、しっかりと勉強しといたほうがいい。』

 

そう言われてすでに25年以上が経ちましたが、いっこうにクビになる様子がありません。私に実力があるわけではなく、私がクビになったら後釜がいないので、病院としては仕方なく私を雇っているかもしれません。

 

医者の数は増えているのに、医者不足?

 

診療科と地域での偏在がかなり顕著です。

 

この20年で精神科の医師の数が1.5倍になりました。糖尿病内科医は1.5倍、眼科医が1.25倍になっています。

一方、外科医は20%以上も数を減らしています。小児科も産婦人科も10%近く数を減らしています。

 

そして地方では病院縮小や病院閉鎖に陥るくらい医師の数が少なくなっている一方で東京では給料が安い状態であっても医師はたくさんいる状態です。

 

このままの状態で進んで行ったら、近い将来に緊急手術をしてくれるところはなくなり、待機手術も数ヶ月待ちで手術を受けられる前に死んじゃうなんてこともあるかもしれません。

 

なぜこんなことになったの?といえば、やはり医者だって人間。訴訟リスクが強いところは避けたいという思いが働くのかもしれません。

 

本来ならば『人を助けたい』と強い意志をもって外科に行きたいと思いつつも、研修医の段階で外科のたいへんさと精神的苦痛を味わうので外科の入局を見送る人もいるかもしれません。

 

今、必要なのは訴訟リスクの強い科で若い医者が安心して働ける環境を作ることかもしれません。

 

そのうち医学部受験の段階で、内科志望とか外科志望だとかしばりがでたり、地方勤務しばりとかでてくるかもしれませんね。

 

さてさて私が属しているリハビリテーション科。微増しているものの、超マイナーなのでまだまだ人が足りません。誰かきていただけませんか?

 

 

 

禁煙外来、ダイエット外来に思う

今、市中の病院、診療所などで禁煙外来、ダイエット外来などが流行っているとのこと。

 

正直、それで禁煙できる人やダイエットできる人が多くなるか?といえばそんなことはないと思います。

 

成功率は良くて1割、ほとんどがドロップアウトだと思います。

 

まず、このような外来を受ける方はまず自分から何かを解決しようと行動することなく、他の楽な手段に依存しようとします。うまく行かなければ、人のせいにして自分の行動をかえりみようとはしません。

 

うまいキャッチを考えて、そのような外来を開く方は多くの場合、集患に走っていることが多かったりします。そういった弱みにつけこんで収益をあげようとする輩も少なくありません。たいがい、『患者さんのため』と言う美辞麗句をつけて。

 

私見から言えば、禁煙もダイエットも自分の強い意志がない限り達成はできないと思っています。他人に依存している段階で自分に負けています。そういった方は禁煙もダイエットもできないと思っています。

 

くれぐれも意地汚い医者にだまされませんように。

医者の役割分担に関しての考察

私には二人の息子がいますが、顔は似ていますが性格は全く違うし、勉強や運動に関しての考え方は全く異なります。

 

長男はとにかくのんびりとして楽観主義。小さなことはあまり気にしません。学校の勉強はできませんが、『ある分野』に関しては、ものすごい能力を発揮します。『ある分野』に関しては150点くらいですが、ほかのことに関しては限りなく0点に近いのです。

 

一方次男はとにかく細かい。先の先まで読んで前もって何かをしないと気がすまない神経質なタイプです。勉強や運動に関しては卒なくこなし、どれも人並み以上にはできますが、『特別にこれができる』というのはありません。60点以下はありませんが、150点はないのです。

 

医者の世界でも同じようなことがあります。ある分野に関しては超スペシャリストですが、ほかの面に関しては何にもできない方もいるし、かたやスペシャルなものは持ち合わせてないけど、広い範囲の仕事を卒なくこなすタイプ。

 

スペシャリスト』と『ジェネラリスト』

 

社会受けしてテレビやマスコミに出られるのは『スペシャリスト』のほうが圧倒的に多いし、収入も『スペシャリスト』のほうが高いでしょう。ですから医者としては『スペシャリスト』を目指す方が多いし、大学志向なのもこのような理由があるのでしょう。

 

だけど医者が『スペシャリスト』ばかりだったらどうなるでしょうか?

『俺はこれしかやらないから。』となって患者のたらい回しにつながります。

 

世の医療は『ジェネラリスト』の存在がなければうまくまわりません。自力でできるところはやるし、これは『スペシャリスト』にまかせたほうがいいと判断した場合には、速やかに『スペシャリスト』にお願いして治療してもらう。

 

スペシャリスト』が野球で言えば四番バッターなら、『ジェネラリスト』は野球で言えば二番とか七番あたりになると思います。ただ四番ばかりいても強いとは限らないし、二番とか七番が活躍しているチームって本当に強いチームなんですよね。

 

『ジェネラリスト』は地味ですが、地味なりにいなくてはいけない存在なのです。

 

私は『スペシャリスト』なのか『ジェネラリスト』なのかはわかりません。ただ周りの力をうまく使っていく力は少しはあるかもしれないので、八番バッターくらいの気持ちで頑張って行きたいと思います。

 

 

それにしてもうちの息子たち、将来どうなるんだろう?不安は尽きませんが、『スペシャリスト』だろうが『ジェネラリスト』だろうが、世の中の役に立つ人間になって欲しいものです。

自己管理能力欠如について

 

まだ40代前半なのに高血圧症、糖尿病、脂質異常症にかかり、挙げ句の果てに脳出血を来した患者。幸い麻痺は軽かったので歩行はできるのですが、基礎疾患がこれだけあるにも関わらず、入院中は隠れて甘いものばかりたべていて、注意するとふてくされる。

 

もう少ししっかりした身体を作ってから退院した方がいいよ、と忠告したにも関わらず、病院はうるさいから帰ると言って家族の反対を押し切り退院。

 

退院後は好きなものを食べ続け、気がつけば高血圧症、糖尿病、脂質異常症は悪化。今度は脳梗塞を起こし、他の病院に入院。運良く歩けたのでやはり早期退院。

 

動きにくくなったから身体障害者手帳を書いてくれ、と依頼。好き勝手なことをやっているのに税金で援助してくれとは虫が良すぎないかい?

 

この例だけでなく自己管理できない人のために多額の税金が使われるのって、まさに正直者がバカをみるって感じじゃないか、って思うのは私だけだろうか?

平均寿命記録更新に思うこと

最近の調査で日本人の平均寿命がさらに記録更新したとのこと。

 

男性の平均寿命が80.75歳、女性の平均寿命が86.99歳とのこと。

 

私はいくつかの病院で働いていて、その中でいわゆる『療養病棟』と呼ばれるところでも患者さんを診ています。何年間も意識がなく、意思疎通ができず、栄養は経管栄養で補給され、自力で体を動かせないので、全ての関節が拘縮し、床ずれがたくさんある患者さんもたくさん診ています。

 

日本人の平均寿命を考えると決まって彼らの顔が頭に浮かびます。おそらくこう言った方々は日本に何万人、何十万人といることでしょう。

 

『長生きしてよかった、よかった』と手放しで喜べるか?と言ったら、やはり違和感があります。死生観に関してはナイーブな問題なので発言は控えたいと思いますが、人間の生き死に関しては本気でいろいろと議論していかなくてはいけないと思います。

 

最近では若いうちから重症な病気にかかる人が多く、いわゆる『健康寿命』は低下しているのではないか?と思います。そしていわゆる『寝たきり』の期間は年々増加していると思います。

 

なかなか健康なうちから自分はどうやって生きていきたいか、どのように死んでいきたいかまで考えられないと思いますが、だれでもない自分の人生なのだから、それなりの年齢になったら考えていく必要があるのではないか?と考えています。

高齢者、障害者、認知症の方の自動車運転を考える

最近、高齢者、障害者、認知症の方の車の運転による事故のニュースが頻繁に報道されています。

 

高齢者、障害者、認知症の患者さんに毎日接している立場として否応なく、この問題は避けて通れない。

 

私が住む群馬県は全国一の車王国。一家に一台ではなく、一人に一台のレベルで車を保有し、人口一人当たりで所有する車の台数は全国1位である。そして女性ドライバーも多い。

 

当然ながら高齢者のドライバーも多いため、脳梗塞脳出血に罹患したのちに車の運転を希望する方も多い。病気が良くなり、歩けるようになると必ず『車の運転をしてもいいですか?』と質問してくる。

 

今年の3月11日から認知症などか疑われる高齢者の車の運転に関して、医師が公安委員会に『この人は認知症だから運転しちゃだめよ』と言った趣旨の書類を提出する必要がでてきます。義務じゃないけど。なんでもかんでも責任を医者にぶつけるのは?ではないかと思うので憤慨しています。

 

ただ、私の考えからすればやはりHDS-Rが20を切っている、TMT-Bができない方、性格的に攻撃的な方事故を起こしやすいので、車の運転は控えた方がいいと思うし、75歳以上の方で脳卒中の既往がある方はとっさの反射が鈍くなるので高次脳機能障害がなくても車の運転は控えるべきだと思います。

 

自分の父親は75歳なのですが、HDS-R30で身体能力も体力も私並みにあるにも関わらず、ここ最近やはりブレーキ操作がやや遅いのと、左方向の見落としみたいなことが多くて、積極的に車の運転をさせるのが怖いのです。70くらいまでは安心できたのですが、やはり75を超えたあたりから体は確実に衰えてくるものだとつくづく感じます。

 

自分自身も40代後半で長距離運転はかなり疲れるようになりました。目の疲れがひどいのです。

 

いわゆる障害がない状態であってもそれなりに支障がおこるので、何かしら身体的、精神的に支障があれば、さらにリスクは高まり、事故を起こしやすくなってしまいそうなのです。乗りたがる方は事故を自分が起こすはずないと自身たっぷりなので、慎重になれず危険なのです。

 

『そんなこと言ったって、車がなければ何にもできないじゃないか。』と言われる方もいるかもしれませんね。でも本当にそうか?と思います。車の中維持費って思っている以上に高いんですよ。それらをすべて何かしらの交通手段にふりわけるなり、自治体が本気になって方策を考えれば解決することはできるのではないか?と思います。

 

4年前、大学院の倫理の授業で障害者の車の運転の再開に関しての発表をしたことがありますが、4年前と変わらず、センチメンタルに考えて安易に高齢者、障害者、認知症の方に車の運転の再開を安易に許すのは危険だと思います。f:id:bluerevolution3:20170301005200j:image

長時間労働是正に思う〜医者の立場から〜

今は長時間労働=悪という風潮になっています。

 

電通の過労死問題がさらにそれを後押しして、その風潮はさらに強くなりました。そしてプレミアムフライデーなるものができました。

 

長時間労働は確かに褒められるべきものではありません。当然ながら就業時間内に仕事を全て終わらせることがあるべき姿でしょう。でも世の中、そのような理屈が全て通るわけではありません。

 

世の中には3種類のタイプの働く形態があるのではないか、と考えています。

 

一つめは生活のために、お金をただただ稼ぎだすためのもの。嫌な仕事でもなんとかお金を得るための手段として自分の時間を売る形のもの。このタイプが一番多いでしょう。

 

二つめはとにかく半ば金銭度外視で働くことが面白くて仕方ないタイプ。一部の経営者や研究者などはこのタイプが多いかもしれません。苦しい場面もたくさんあるけど自分の興味のおもむくままでやれるので幸せかもしれませんね。

 

三つめは、仕事をある種の『mission』と位置づけて他人や社会に対しての貢献を目的とした働き方をするタイプ。医者や官僚、企業のナンバー2のようなタイプが多いかもしれません。

 

過労死や自殺が多いのは、三番目のタイプが多いと思われます。なんらかの使命感が強すぎて、なんらかの原因でそれらを挫かれると自分の存在意義が崩れてしまうのでしょう。電通勤務されて自殺してしまった女性も会社内で猛烈に上司に否定されて心が病んでしまったのではないか、と思います。

 

私は医療業界に入り、23年になります。一番忙しい時期には時間外労働、呼び出し、当直などを含めると規定労働時間をゆうに250時間を超えたこともあります。平均睡眠時間3時間なんてこともよくありました。でもなんとかやれたのは心が折れるような自己存在意義をなくす出来事がなかったこと、そして素晴らしい職場環境だったことにつきます。

 

必ずしも労働時間が長いことだけが悪いことでないと思います。どのような職場環境であることか、そして人間を人間としてみる人間がどれだけ多いかに尽きると思います。