私が医者になろうとした理由 パート2
私の『医者になろう計画』は無謀こそあれ、不可能ではないかも?という漠然たる思いがあった。
とにかく受験まで7カ月しかないわけで、どうしたらいいか?
ひたすら反復学習をすることだと考えた。
リハビリテーションにも言えることだが、リハビリで効果を発揮するためには『運動学習』が必要であること。この運動学習さえうまく修得すれば、その後の予後に大きな影響を及ぼす。
とにかく教材は絞りに絞った。
国語:旺文社のラジオ講座のテキストのみ
数学:学校から配られる大量のプリントのみ
英語:名著『英文解釈教室』『英語構文詳解』、桐原書店の『英熟語の本』
これだけを何度も何度もやった。特に数学は学校のプリント以外やる余裕がなかった。
このプリント、中身が凄い。
アイドルオタクの30代半ばのロリコン教師が作ったものだが、めちゃくちゃ問題のセレクトがうまい。へたな参考書や問題集をやるよりこっちのほうが何倍も力がつく代物だった。ロリコン教師の趣味で当時人気があった西村知美の写真が各所にちりばめられたプリントではあったが、、、、ヾ(@°▽°@)ノ
同じ教材を少なくとも30回以上はやった。理科と社会は共通一次(今でいうセンター試験)と二次試験用の過去問しかしなかったというより、できなかった。
ただ世の中はそんなに甘くなかった。受ける模擬試験はすべてD判定かE判定。特に屈辱的だったのは11月に受けたS台模試の物理で生まれて初めて『0点』をとった(>_<)
さすがにこの時にはへこんだ。
そのまま共通一次試験に突入するも、自己採点では第1希望、第2希望の大学とも『D判定』
予想通りの展開であった。
学校の先生は『進路変えたほうがいいよ。』とアドバイス(?)してくれたが、あきらめが悪い私は強行突破した。
そして運命の2次試験に突入したのである。
第1志望校の2次試験は体調万全、しかも面白いように問題が解けた(と思われる)。『もしかしたら』という思いをもちつつ、5日後の第2志望校受験の準備に入った。
ところが、
第2志望校受験の前日、38.7度の熱発!!!しかもその日のうちに第2志望校のある現地に入らなくてはいけないの体がだるくて仕方がない。自宅から現地まで電車を乗り継いで2時間。
子供のころから世話になっている小児科の先生の所に行き診察を受けて、風邪と診断された。
『今日はゆっくりしてくださいね。』と小児科医。
『先生、明日受験で今日に●●県まで行かなくてはいけないんですよ。』と私。
『ちょっと無理じゃないか。熱も高いし。』と小児科医。
『無理だとわかっててもとりあえず受験にはいきたいんです』と私。
『とりあえず点滴と抗生剤、解熱剤を出しとくけどつらかったらすぐ近くの医者に行くんだよ』と小児科医。
そして点滴を打ってもらった。熱はあまり下がらなかったが、この点滴のおかげで体はだいぶ楽になった。この点滴は私の中では『魔法の点滴』だと思っている。
そして新幹線に乗って●●県に向かった。
続く